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大阪本苑について

ご挨拶

    大本大阪本苑は、宗教法人大本の地方機関です。
   平日ご自由に参拝していただけますが、主に毎月第二日曜日午前10時より月次祭を行っております。

   信徒でない一般の方の参拝も歓迎しておりますので、参拝される方は事前に連絡いただけましたら、できる限りご案内させていただきます。
   また、各講座につきましても参加費は無料となっておりますので、どなたでもご聴講いただけます。

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皆さまのご参拝をお待ちしております。

本苑案内

​大阪本苑の歩み

■聖師さま大阪宣教(大正3年)
 大正2年、難波八坂神社裏の村上米三郎宅に大阪会合所が設けられ、幽斎による鎮魂と布教に専念されていたが、大正3年、内藤正照氏との邂逅によって新たに布教所を設けるべく宣示があり、大阪市南区新川一丁目に、初めての教団直轄の布教所「難波出張所」(二階建て待合茶屋) が誕生。当時は知識階級の共鳴者や入信者が増え、教勢は著しく発展を遂げた。

■大阪分院の設立(昭和7年)
 聖師さまご来阪、神機を進められてより35年を経た昭和7年、大阪市西区薩摩堀西ノ町(現西区立売堀五丁目辺り)に初めての「大阪分院」が設立された。この分院別館(蒼雲閣)で、聖師さまは「霊界物語」(「天祥地瑞」の辰の巻と巳の巻)のご口述をされた。

■「三島別院」(大正13年)と「三島道院」(昭和4年)
 これまでの教勢に並行して大阪においては中井百太郎·井上荘三郎両氏が、神意のまま大阪教勢に大きな役割を担っていた。聖師さまは再々、井上邸を訪れ、昭和3年3月には「三島別院·如月荘」と命名され、また中井邸には三島別院に因んで「老泉荘」を命名され、昭和4年には世界紅卍字会使節団の一行を迎え、道院神の宣示によって「三島道院」と定められた。

■大阪別院の設立(昭和29年)
 昭和25年の大阪主会設置以来、信徒数の増加によって昭和29年、本部より別院建設の承認を得、三代教主さまのご裁可を仰ぎ、「大阪別院」として発足。大阪市西成区聖天下二丁目の繊維会社社長宅を購入。のち、新設大本別院は宗教法人格を有し、宗教法人「大本」の包括団体となる。当時は信徒数823人とされ、三分苑·十八支所が所属していた。

■大阪本苑の設立(昭和33年)
昭和33年 別院は三代教主さまのご承認を仰ぎ、その年の瑞生大祭の佳節に「大阪本苑」が設置された。本苑は聖地霊場の移写としての機能を備え、祭·教にわたり み教えの修得と実践に務めた。

■「ミニ長生殿」造営 本苑の建替え(平成7年)
 昭和29年以来の神の家も老朽化には勝てず、平成3年、本苑建て替えの機運が高まり、当時の信徒の熱意によって建設献金を開始。平成6年秋に建設着工。建設中、平成7年1年1月の阪神·淡路大震災にも耐え、平成7年7月に完成。四代教主さまご臨席のもと、完成奉告祭が執行され、参拝者680余人が喜びを分かち合った。この時 四代教主さまから「ミニ長生殿」と命名賜り、信徒一同大いに感激した。

■本苑別館「歓ぎの家」(平成15年)
 本苑宣教活動が活発になるに従い、活動の場の手狭さを感じる中、平成15年2月、隣家より、隣接の土地建物の譲渡の話があり、協議の結果、信徒の強力な援助のもと購入を決定。改修工事の後、平成15年11月に別館完成奉告祭を執行。また翌年初め、別館完成を祝し、教主さまから「歓ぎの家」と命名賜り、 純白の色紙に力強いご真筆を賜った。「神の家」にふさわしい贈り物に、信徒一同は大きなびに包まれた。
現在、「歓ぎの家」は、茶道稽古·講習会·展示会などに幅広く活用されている。

本苑の​沿革

大正  2年 大阪市浪速区に「大阪会合所」設置

大正  3年 大阪市南区に「難波出張所」の設立

昭和  7年 大阪市西区に「大阪分院」の設立

昭和25年 「大阪主会」設置

昭和25年 大阪住吉大社にて「第一回大阪歌祭」開催

昭和28年 大阪山本能楽堂にて「第二回大阪歌祭」開催

昭和29年 現在の住所に「大阪別院」設立

昭和33年 「大阪本苑」の設置

平成  7年 本苑の建て替え

平成15年 別館「歓(えら)ぎの家」の完成

平成24年 OBPツインタワーにて「出口王仁三郎とその一門展」開催

平成26年 大阪住吉大社にて「なにはづ大本歌祭」開催

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